「〇〇すべき」という発想は、生きることのみに用いるべき。
こんにちは。
ポンコツたくみんです。
「〇〇すべき」という発想は、生きることのみに用いるべき、という話をさせて下さい。
生まれてきてから、年を重ねて、私たちは他人から沢山の影響を受けます。
「〇〇すべき」という発想も。
「友達は多く持つべき」あるいは「友達は少なくても親友は持つべき」
「正社員で働くべき」あるいは「いい歳になったら社会に出るべき」
「人には親切にするべき」あるいは「人から親切にされる人間になるべき」
どれも間違っていない、正論だなあと思います。
しかし、これらの発想が自分に合っていない時、正論だからと自分に当てはめようとすると苦しくなりますよね。。。
正論だろうと、何であろうと、自分に当てはまらない物は取り入れなくてよいと思います。
「〇〇すべき」という発想は強いて言えば、私は生きることのみに使うべきだと思います。
つまり、「私は生きるべき」。
これに勝る「〇〇すべき」という発想はないのではないかな?と思います。
他人からどんなに低い評価を受けようが、それで死ななくてよい。
死ぬほどつらい状況ならば、逃げたらよい。
生きていればよい。
ポンコツなぼくは人から低く見られたり、悪く思われることに敏感でした。人から悪く思われるくらいなら死んだ方がいいのでは?と極端に思う程でした。
人の目が気になり、苦しく、精神科に通って向精神薬を飲んでいました。
19歳から飲み始めて、37歳まで飲んでいました。
現在、薬はもう一切飲んでいません。
そして、納得しました。
生きていればよい。
生きていればよい。
自分を大切に。