ポンコツなぼく

37歳。男。妻ひとり娘ひとり。繊細さん。

「〇〇すべき」という発想は、生きることのみに用いるべき。

こんにちは。

ポンコツたくみんです。

 

「〇〇すべき」という発想は、生きることのみに用いるべき、という話をさせて下さい。

 

生まれてきてから、年を重ねて、私たちは他人から沢山の影響を受けます。

「〇〇すべき」という発想も。

 

「友達は多く持つべき」あるいは「友達は少なくても親友は持つべき」

 「正社員で働くべき」あるいは「いい歳になったら社会に出るべき」

「人には親切にするべき」あるいは「人から親切にされる人間になるべき」

 

どれも間違っていない、正論だなあと思います。

しかし、これらの発想が自分に合っていない時、正論だからと自分に当てはめようとすると苦しくなりますよね。。。

 

正論だろうと、何であろうと、自分に当てはまらない物は取り入れなくてよいと思います。

「〇〇すべき」という発想は強いて言えば、私は生きることのみに使うべきだと思います。

つまり、「私は生きるべき」。

 

これに勝る「〇〇すべき」という発想はないのではないかな?と思います。

他人からどんなに低い評価を受けようが、それで死ななくてよい。

死ぬほどつらい状況ならば、逃げたらよい。

生きていればよい。

 

ポンコツなぼくは人から低く見られたり、悪く思われることに敏感でした。人から悪く思われるくらいなら死んだ方がいいのでは?と極端に思う程でした。

 

人の目が気になり、苦しく、精神科に通って向精神薬を飲んでいました。

19歳から飲み始めて、37歳まで飲んでいました。

現在、薬はもう一切飲んでいません。

そして、納得しました。

 

 

 

生きていればよい。

 

生きていればよい。

 

自分を大切に。