ポンコツなぼく

37歳。男。妻ひとり娘ひとり。繊細さん。

幸せになるには

一億円あったらどうなるだろう?

そんな妄想をしてみました。

夜、布団に入って、娘の寝かしつけをしながら・・・・

 

一億円あったら、・・・財布の中身を気にすることなく、美味しいものを好きなだけ食べられる。

回らないお寿司屋で、ウニを食べたり、大トロを食べたり。

 

一億円あったら、・・・乗りたい車を新車で買って、ドライブを楽しめる。

マツダの赤色のロードスターを購入して、峠道をドライブしたり。

 

一億円あったら、・・・自分の住みたい家に住むことができる。

平屋の一軒家を買って、夜に庭を眺めながら日本酒を飲んだり。

 

1億円あったら、色々なことができるぞー、幸せになれるぞー!と想像してみました。

けど、どうしても違和感があります。あれ?想像しても少ししかワクワクしない。

これってぼくが本当に望んでいることなのかな?違うと思う。

 

 

 

「ぼくが、ぼくにとっての幸せを感じることができる心を持つこと」

これがぼくの幸せになる方法だと思いました。

外から与えられて「はい、これが幸せだよ」と渡されて、ぼくは幸せになるのではない。

 

例えばどこかからお金が沢山急に入ったとして、始めはすっごく嬉しいけど、きっと段々幸せは減っていく。お金の残高が減るのと心の幸福感が比例して減っていってしまう、そんな気がします。

始めはいいんです。嬉しくてドキドキワクワクして、考えるだけで楽しい!っていう状態になるから。けどその状態はずっと続かないのでは?

お金が減ったら不安になるから、増やそうとする。使ったら使った分、それ以上を補填しようとする。

ぼくだったら、きっとそうなる。

与えられた幸せはその程度のものではないかと・・・有限な感じ。

 

無限な幸せは自分の内側から発生している。

幸せを感じる心では、幸せを次々にキャッチしていくから、いつも幸せ。

不幸せがあったとしても、きっとそれすら幸せの種になってしまう。

 

「幸せを感じる心」の有無が幸せか不幸せか決める?のかな。